名称 TY小学校
所在地 ***
探索日 2004/12/08
廃墟開始日 昭和62年にダム水没決定のための為廃村・廃校
分類・規模
学校 3階建て
撮影 TEL
写真コメント pcfx


アメリカ最大の公共事業は戦争。日本ではダム。



沈める事が決まった村は、不治の病の患者のようだ。死を待つ人生。



校舎だけではなく、この道、この林が全てダムの底。



大開放状態の入り口。



小学校に休憩室。児童もお疲れ。タバコでも一服してたのだろうか。



食品庫。食品の字だけが手書き。元は別の倉庫だったのだろう。・・・小学校に食品庫?



冬になると凍える寒さの山間部。ストーブが必需品。体温回復マシン。



外から植物が侵入。椅子を持ちだそうとしているのがわかる。泥棒植物。



子供用なので便器の位置が低い。大人が使おうとすると大変な事に。



音楽室にはオルガンが残る。これも間もなく沈む運命にある。



理科準備室が異常に好きで入り浸っていたのはpcfx。科学の子の胎内だ。



今の子供にミシンを教えるのは、絶対行かないような国の言語を教えるのに等しい。



天気調べ。気象変化とは何かを探ると地学が見えてくる。そして地球物理学へ。



家庭科ではDV対策や、家族との当たり障りのない会話の仕方を教えるべきか。



廊下には必ず各教室用の手洗場がある。もう手を洗い放題、うがいし放題。顔洗い放題。



以前は3階へのシャッターは閉じられていたが・・・



田舎では自転車に乗るときにヘルメット着用を義務付ける。安全という名の責任転嫁。



図書室。図鑑少年だったかどうかで、その後の人生は大きく変わる。



図鑑は少年に知的好奇心をオーバードーズする。心は細胞から宇宙へと広がって行く。



大人の視点で見る小学校の廊下は、なにかバランスがおかしい。高すぎるのだ。



学校には紋章があるが、これが有効に使われる事はあまりない。



戦争に負けるという事は、そういう事なのだ。しかし次は負けない。覚えてろよ元連合軍国家。



児童が初めて体験する仕事、それが「委員」だ。



図書貸出簿にファーストネーム。康成が借りた栄光の機関車D51。



卒業制作の版画も、破れながらも校舎と運命を共にする。彫刻刀とバレンの芸術。



卒業生は思い出を前にして壁に立ちふさがれた。この当時は開いてなかった。



賞状なんだが、何も褒め称えていない。逆に怒られている。



冬の屋上はバージンスノー。



固定式ライフルが麓の村を狙っている。大人はみんな敵だ。



雪景色を見渡す音楽室。天井が落ちて苔だらけ。



どんな事情があって村に来たのか、南国娘の第二の故郷。



雪をザクザク踏んで帰るとしますか。



物件の感想 by TEL

徳山ダム完成に伴い水没する小中学校。
解体しないでこのままの姿で水没するとの事だ。徳山村は昭和62年に廃村になりその
時に同時に廃校となった。

内部1階は窓が目張りされていて真っ暗だ。1階教室は何かの資材置き場に転用されて
いて残留物は発見できない。全体を通して至る所に落書きがあるが、卒業生の落書きが
黒板に多数認められる。

「なんで沈んじゃうの?」「俺達は絶対に忘れない」etc‥
何とも物悲しい廃墟探索だった。

かつて防火シャッターにより3階より上は入れなかったらしく(現在は突破されて侵入可)
その防火シャッターにあった「何で入れないの?私は図書室がどうしても見たかったのに」
という落書きにはくるものがあり、更には夕方のまだ早い時間だったにもかかわらず、
山の日没は早くあっとゆう間に薄暗くなっていき物悲しさに拍車のかかる展開となった。

2階、3階は残留物豊富。BB戦士の築いた弾除け、DQN族の暴れ痕は多少見受けられ
るものの昭和62年からの16〜17年物の廃墟にしては保存が良好だった。
山奥過ぎてアレな人達はなかなか来ないという立地が幸いしていると推察する。

徳山村は現在廃村しているので住人は居ないはずだが学校の目の前に一軒住んで
いる家があった。